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●))先週センシュウ卓話タクワ((●
ワタシ クツ レキ
宮城ミヤギ 康夫ヤスオ 会員カイイン
 私は昭和20年、終戦近くの沖縄に生まれました。生まれて1ヶ月もたたないうち
に、米軍が沖縄に上陸し、日本軍との最後の激戦となり、私の家族はジャングルへ
逃げ込みました。母親も私を懐に突っ込んで、山道を逃げ回ったようです。
 戦争が終わり、沖縄はアメリカの信託統治となり、私は昭和40年留学生として京
都の大学に入学しました。医学部在学中、学園紛争があり、充分勉強しないまま卒
業しましたが、沖縄での貧しく苦しかった生活をいつも胸にいだき、人々が助け合
い、優しく接する心を持って、外科医師として出発しました。その結果救急医療に
携わり、多くの患者さんの命を救うことができました。時に次から次へと重症患者
が来院し、一日1〜2時間しか寝れないこともあったり、18時間もの長い心臓手術
を行なったりしたこともありました。
 「Something New」を目標にし、他の人より一歩先んじて工夫しながら医療活動を
行っていました。沖縄での医師不足の影響もあり、専門外の手術を行なったりして、
キモを冷やすような経験もしました。「いつでも、どこでも、だれでもが良い医療を
受けれる」ように自分自身努力していましたが、ある病院の院長として経営にも責
任を負わされると、患者さんに都合の悪いような医療を行ってでも病院経営を守っ
たりしたこともありました。
 現在70才を過ぎて、若い時代の活動と同じようにはいきませんが、今後もできる
だけ、患者さんに寄り添った医療を行っていこうと思っている今日この頃です。
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